2018年11月6日火曜日

給食を残すとか残さないとか・前編

 「給食は食べ残せ」みたいな記事があった。まあね。「完食するまで許されない」とか「昼休みに入っても泣きながら」っていう古い現状に対するカウンターだし、見出しで勝負しなきゃいけない時代だし。

 でもね。

 うるせえな。

 ほんとうるせえなって思う。「科学的な裏付け」とかを並べておいて結論が「食べ残せ」って。対極のキャッチコピーを打ち出すことで古い現状を打破しようってのは基本だろうけど、何だよそれ。その記事を叩きたいわけじゃないのよ。そういうのばっかりじゃございませんか、最近。っていう。

 日本の教育の基本に「落ちこぼれを作らない」っていうのがあって、発生してしまった、または解消できなかった落ちこぼれに対しては「なかったことにする」。教育って学校だけじゃないよ、会社でも続くんだよこれ。凄いよね日本。いやあ、素晴らしい美しい。

 だからいじめを隠すし、落ちこぼれにされた者は登校拒否か転校しか選べなかったりする。

 「できること」よりも「できないこと」に着目せざるを得ないのは、社会がしばーらくの間ね、減点方式でうまくやってきたから。富国強兵、国難突破。これは民主主義とは呼ばんでしょう。

 凹んでるとこがあるってことは、出っ張ってるところもあるってことなんだけど、成果主義の減点方式では、そういうところに目が行かない。

 できる子を称えるよりも、できない子を笑う。集団としての生徒たちがそうであってもいいけど、教師が、担任が率先してそれをやって生徒のウケを狙うような、そういう空気が僕のクラスでもあった。笑う側も笑われる側もやったな、僕。次回に続こうかな。

2018年7月27日金曜日

JINSのお医者さん・後編

 ちょっとつづき。

 これまでのJINS体験とあまりにも違ったというか、もはや別次元だったので、その素晴らしい店員さん(店長さんだろうか?)に聞いてみた。

 「お給料はちゃんと六倍くらいもらってるんですか?」

 もらっていないどころか、新入社員と変わらないそうだ。新入社員としては多くもらえるけど、そこからあまり上がらないんだとか。

 いいのかそれで。

 もう一度書くけど、これまでのJINS体験とは次元が違う。これまでがたまたま悪かった、たまたまそういう店員にしか当たらなかったというのは、確率論としてもおかしかろうよ。

 これはもはやお医者さんだと思えるほどの体験は、病院に行ったって保証されない。

 詳細を記すとあんまりあれだから控えるけど、眼鏡屋さんとしての経歴もなかなかな人で、仕事だから眼鏡をかけてみてるんじゃなくって、眼鏡に愛情をもっている。

 だからこそ、人と同じお給料で働けるっていうのもあるんだろうけど。

 そんなんでいいのかこの世の中。

 いや、だってね、これだけの体験で無料なのよ。

 封筒で個人的に包めば良かったかね。それがまずけりゃ、黄金色のお菓子でもさ(意味は同じ)。

 いやあ、それじゃ根本的な解決にはならんよね。

 JINSに陳情してみようか。

2018年7月26日木曜日

JINSのお医者さん・前編

 JINSに行った。伊達眼鏡を買うためではない。妻の眼鏡の再調整のためである。

 どんな度なら強いのか弱いのかも分からない僕と違って、妻の眼鏡は大事なもの。顔の一部とかいうレベルを超えた必需品。表示価格のまま買おうとすると分厚いレンズになり、歪みが強くなるので、薄くしなければならない。いいお値段になる。

 その割に、快適そうに使っている印象がない。

 痛いとか落ちてくるとか、しょっちゅう言っているような気がする。

 調整するためのJINSにも、何度も付き合った。蔓の部分を温めてくにゃくにゃっとやるやつ。かけ直して、「もうちょっと」とまた直す。

 「どう?」と聞いても、いつも「うーん」みたいな感じで、またすぐに駄目になる。

 引っ越しも終わってまあまあ落ち着いたので、近くのJINSへ行ってみた。

 凄い人がいた。

 いつものくにゃくにゃをやらない。

 妻の顔を見て、眼鏡を見て、蔓を動かして、「ここの金属の輪っかがすり減ってます、たぶん」とねじを外す。片方はすり減り、もう片方はすり減りすぎて消えていた。

 「古い型だから今のパーツで合うかどうか」と言っていたけど、合うのを見つけてくれた。

 もう一度妻の顔を見て、鼻当てを違う型のものに替えてくれた。

 妻に「どう?」と聞くまでもなかった。こんなのは初めてだった。

 繁忙期の引っ越しで、各業者のろくでもない仕事を見せられてきた。

 プロがいた。プロに会えた。

 妻の喜びようを見ると、このJINSの人はもう、眼鏡屋さんを超えてお医者さんだなと思った。ちょっとつづく。

2018年3月21日水曜日

笑い事じゃないじゃない

 おしゃべりよりは寡黙の方が尊ばれる、みたいなところがある。他人の秘密をべらべら喋るか喋らないかっていう寒天、わーい僕寒天大好きいくら食べたって太らないもの黒蜜三倍くださいな、ううん違うの。観点。他人の秘密をね、喋るかどうかっていう観点ならそりゃね、間違いなくそうですよ。

 でも、自分の失敗、特に恋愛絡みのことなんかは、人に話して、できれば笑ってもらっちゃった方がいい。

 消化できるならいいんだけど、自分で時間をかけて自然になんてね、そんな風にできる人っていないよ、なかなか。

 上手に笑ってくれる相手を探すのも大変だけど、「笑ってもらいたくて話すよ」って前置きをするような癖をつけるといい。「いや、ちょっと笑えないんだけど」みたいなリアクションが欲しいわけじゃないって切り出してるのに、そういう反応しかできないならそりゃもう、相手もアホってことだから。真面目なだけで器の小さい奴なんて、友人としてふさわしくない。

 自分の中っていうのは、思っているよりも暗い。暗くて、風通しも悪い。

 そんなところに失敗をね、「外に出せない恥」として隠しておくでしょ。もうね、すぐ、簡っ単に腐るんだよね。

 だから、隠しておかずに空中に放つ。これは凄く大事。

 独り言じゃ駄目だから、誰かとの間にね。で、笑っちゃう。

 笑いは消毒、殺菌になる。暗い話や悲しい話、とても言えないみたいに思い込んでた話も、湿気を含んで重くなっちゃってただけだなって気づく。

 男の趣味、女の趣味が悪い人っていうのはね、何かこう、間違った秘密主義みたいなところがあったりするよ。

2018年3月10日土曜日

男運悪いちゃん

 全国の「男運悪い」さん、こんにちは。

 前回ちょこっと書いたけど、あなた方は「男運が悪い」のではないのでどうぞご安心を!

 男選びのセンスが間ー違ってるんだよおおおおおおおおおおおおおおっ。

 被害者の顔して「ちぇんちぇー、恋愛運を見てくだちゃい、いつ良くなりまちゅか」じゃないの。「恋愛成就で有名な神社にも結構行ってるんでちゅけど」じゃなーいの。

 男の趣味が悪かったり、出会いがなかったりするのにはね、自分に原因があるの。

 そこに取り組めばいいの。雑誌には書いてないの。ゆるふわを意識しても駄目なの。あなたの愛されとその辺の愛されは違うの。愛されが発動しない原因はね、個人個人の、結構深いところにあるの。そこを見たくないでしょ? 見たくないから、「男運悪い」はまだまだ続くの。この先も続いていくの。

 っていうか、あなたが好んでその道を歩んでいるの。

 本当にやめたいなら、やめられる方法はあるの。

2018年3月6日火曜日

予想はしてた

 「予想はしてた」とか「予測できてた」、「何かあるだろうなとは思ってた」。ショックを受けないように、しておく心の準備。まあ、誰でもする……、いやいや、そんなこともないか。

 えっと。

 備えておけば、ショックを軽減できる。だから備える。

 それでも、ショックを受けないかといえばそうでもなくって。「ショックはショック」。これを認めちゃうってことは大事なんだよね。誰かに話せちゃえばもっといい。

 「こんなことで自分は傷つかないから大丈夫」っていう姿勢を見せなきゃいけない人もいるでしょう。そんな事情もあるでしょう。

 だけどそれをね、自分に対してもやっちゃうと駄目なのよね。

 「ずっとそうしてきた」って人も多いだろうけど、それは必ず身体に出る。自分にも見えないようにする習慣になっちゃってるから、自覚させるのにも時間がかかる。「根治までの道のりがたーいへん」ってことね。

 いいこと(男ならダンディズム)だと思ってやってる人も多いんで困るんだけど、秘密や隠し事っていうのは、どう呼ぼうが「嘘」。

 自覚と無自覚とによらず、嘘は不調に繋がる。無口でいれば、身体が雄弁になる。素直になる、素直になれる時間を持つって、結構大事よ。

2018年3月5日月曜日

Ten十

 数ヶ月前、ふいに天重が食べたくなった。そして、今に至るまで食べていない。

 食べりゃいいじゃんと思うけど、あんなに好きだった天丼も(あんなってどんなだ)重たく感じるようになった僕が、何で天重を食べたいんだって考えちゃうのよね。

 少年の頃、伯父の家に行くと「鰻重か天重か」と聞かれた。僕にとって天重といえば、恐らくその味。よそで食べた記憶もないし、自分で選んだ覚えもない。面倒をかけないよう、母親が一括で選んでいたんじゃなかろうか。

 伯父のことを思い出しなさいよというヒントだったのかもしれない。だとしたら長く考えすぎだな。

 天丼を食べられなくなったことを寂しく思うときがある。天重を食べてごらん、ってことかな。

 考えてないで食べてみりゃいいのにね(笑)。あの味じゃないって思ってしまうこととか、適当に入ってみる気軽さを持ってみることを面倒に感じているのかもしれない。

 ってな感じで結局ね、何ヶ月も平気で食べずにいるんだから。そこまで食べたくないんだろうな。ここまで思い続けて、「シンプルに胸焼けして終わった」とかじゃ哀しすぎるとか、何だこれ、駄目な恋みたいになってるな。

 「あっ! てんやの持ち帰りならほぼ天重か?」とひらめいたような気分になるけど、「店まで行くなら入るわ」ってもう、何なのあたし自分が嫌いになりそう、ううんもうなってる、ほっといてもうほっといてよヨヨヨヨヨ。