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2018年11月16日金曜日

手術は硬い

 アスリートが大きなケガをすると、手術の話になる。

 外科手術っていうのは「硬い」手段。

 そのアスリートのプレースタイルが「硬い」場合は、手術との相性も悪くない。

 プレースタイルが「柔らかい」アスリートは、周りがどう言おうが、手術しない方法を徹底的に探る方がいい。

 せざるを得ないとしたら、柔らかさを守り、生かすためにした方がいいことがある。

 「オフに手術」って話題を見るたびに、「(気のお医者さんに)気づいてくれよ」と願う。

2017年12月21日木曜日

体重と身体の重さ

 プロでもプロでなくても、「ベストな体重」を把握している人は多い。

 パワーをつけるために増量する。キレを取り戻すために減量する。前者だと「身体を大きくする」と言ったりするのに、後者を「小さくする」と言わないのはなぜだろう。まあいいか。

 体組成計も普及して、体重だけの話っていうのも少なくなっているとは思う。それでも、そこに表示される数値だけを目標にしてしまうと間違えるというか、失敗する。

 「身体が重いとき」でも書いたけど、ご飯とパン、各種麺類をひとくくりに「炭水化物」だとか糖質として扱うような食事はいけない。栄養士がついてるとか、奥さんが資格を持ってるとかいうのも、役に立たなかったり、実は物凄く足を引っ張ってしまったりする。

 食が「数値を実現するための材料」になってしまうと、その身体づくりは失敗する。

 同様の理由で、サプリメントをじゃらじゃら飲むようなコンディショニングもうまくいかない。摂り始めると癖になるというか、摂らないと不安になってしまうけど、だからこそ僕としては薦められない。

 毎日水を何リットル飲むとかも違う。

 数値目標ってのは分かりやすいし、共有しやすい。提示する側と実行する側との確認が容易だから、「やってますね」「やってるぞ」っていう安心感もある。

 食事制限とか体重制限とか、「制限」ってのはストイックな感じ、プロっぽい感じが出るから、本人も満足感を得やすい。日本人は特に、苦行が好きだしね。苦行やっとけば周りの人の目にも留まる。

 まあ、いかにプロといえども、見えないものを相手に戦い続けることは難しい。ただ、本人を動かすのはその心と身体であって、「気」とか感覚を磨くこと、その部分を共有できるスタッフを探すことが最優先なんだよね。

 それができている人が、結果的に「ほんの一握り」になるんだけど。

2017年12月19日火曜日

身体が重いとき

 何かだるいなーとか、身体が重いんだよなーということはきっと、誰にでもある。

 僕の場合、小麦粉を摂りすぎると重くなる。ご飯が続いても重くはならないけど、パンとか麺が続いてしまうと重ーくなる。

 小麦だけ、小麦粉だけを食べるってことは少なくて、ほぼもれなく油脂分がついてくるのも一因ではある。とは思う。でも、それが全てではないことも感じられる。

 糖質糖質と騒がれているけど、特定の栄養素だけで語れることは少ないし、「科学で証明された」からといって、目には見えない栄養素を見えたつもりになってしまうのは危ない。

 共有される文字情報が増えすぎて、感じる力っていうのが急速に失われている。

 だから、絵とか動画がコンテンツとして、特に若年層に人気なのは自然なことというか、少なくとも悪いことばかりじゃないよなと思う。

 アスリートとかアーティストの体調管理は、パフォーマンスと収入に(あまりにも)直結するから、「業界御用達」な医者やトレーニング、食材の情報の共有が、ちょっと閉じたような、特殊な形でなされる。

 誰にでもある程度効果のある方法が確立されていく一方で、個人に最適な方法が見落とされたり、不当に過小評価されたり。

 結局のところ、口コミはもう、口コミになった時点で最先端ではないし、独占できるお得な情報でもない。

 長く一流であり続けるアスリートやアーティストは、心や性格に合った柔らかい情報を見つけたり、選んだりできる。それもまた才能だと言ってしまえばそれまでだけど、雑音の絶対量自体が増えてるんでね。邪魔する奴が多すぎるんだよなと思わされる。「見つけてくれよ!」と願う。

2017年9月29日金曜日

青魚が身体にいいかどうかは自分で考えるわい

 まああれですよ。僕くらいね、青魚が好きで然るべきみたいな人もそうそういないと思うわけですよ。「おいしいおいしい」と言いながら食べてると「わー共食いだー」とか言う人もいそうだけど、何か世代が限られそうな言い方だなとかね。

 紫って聞いても普通だけど、青紫って聞くと「おっ」。

 緑って聞いても普通だけど、青緑って聞くと「おおっ」。

 パナソニックって聞いても普通だけど、青っぱなって聞くと「お、おお……」。

 だからね、青魚って聞くだけで「あーんお寿司食べたーいん連れてってえーん」みたいな感じになっても良さそうなもんなんだけど。

 駄目なのね。じんましんとか別に出ないけど、食べた後のもたれがもう。若くないとかじゃなくってもう、昔っから駄目。

 そういうもんなのかなと思って「魚も食べなきゃねうふふ」的な感じで意識的に摂ったりもしてたけど、これはもう、身体がいらないと言ってますよね。

 身体にいい、健康効果健康効果驚きの健康効果今日から早速毎日毎晩ご家庭で簡単にみたいなね、横並びの情報が大爆走しておりますけれども。

 「胸焼けする人が無理して食べ続けた驚きの結果」とかないのかね。

 結婚披露宴でも筋力トレーニングでも、スポーツの練習や勉強の仕方でも、データとか先輩とか伝統とか経験を優先して、その人を見るっていうのが置き去りなことが多いよね、未だに。「一般的に」を採用しておけば無難だし考えなくていいし、まあリスク回避もあるんだろうけど。

2017年8月21日月曜日

一重ちゃん

 昨日の続きね。

 すっかり二重になった立場で昔の自分の写真を見てみると、片二重っていうのかな。左目だけが二重になってるときっていうのが結構あって。「疲れると二重になる」とか言ったり言われたりしてたことを思い出したりする。自分を一重まぶただと規定してたときは、とにかくこう、二重な自分を認めないからね。誰がどう見ても二重な今だからこそ、すんなり受け入れられる過去(笑)。

 若い頃って無駄に潔癖だったりするから、片っぽだけ二重っていうのが気持ち悪いっていうか、落ち着かないっていうかね。左右対称でなきゃバランスが悪いような気がして、髪の毛も真ん中で分けることしか考えられない。それが今じゃ坊主頭ですよおじいさんふぇっふぇっふぇっ。

 数年前、小学校の同級生女子とひっさしぶり、十何年ぶりかで会ったときにまず言われたことが「大きくなったね!」で、次が「声変わりしてる!」、その次が「あっ、二重になってる」だった。周りというか、仲の良かった同級生のイメージの中でも、僕はしっかり一重まぶただったということが、何とも不思議な安心を与えてくれたんだよね。

 アイデンティティであったとしても、わざわざ無理して、勝手に独りで一重であろうとしたとかね、そういう生き方をしてたわけじゃないんだな小学生の僕。っていう。

 自分を知ってくれている人がいるってことは、とても幸せなことで。

 一重か二重か、整形か整形じゃないかなんてことが取り沙汰されるのも、人がいかに人の目を見て生きているかの表れだから、捨てたもんじゃないような。

 それでもカラコンが売れてしまう世の中が、いかに記号的な情報に振り回されているかの表れのようで、ふっと哀しくなるような。

2017年8月20日日曜日

FUTAEちゃん

 弟の目が「ぱっちり二重」だったのもあって、自分の一重まぶたは自然とこう、僕のアイデンティティになっていた。妹もまたHITOE、いや一重だったから、「お兄ちゃんと妹さんはお母さん似ね」みたいな言い方をよくされていて、そういうつもりで生きていた。

 ところが、妹が高校に通っているうちに二重になってしまった。

 アルバイトで金がかゆいところに届くようになった、ではなくて。

 アレルギーで目がかゆいとこすっているうちに、なんか二重になってしまったという流れ。

 そんな馬鹿な、と思っていたら、僕も二十代のどこかで二重になってしまった。

 一重まぶたを自分らしいと思っていたので、「鏡を見て二重になっていたら必死こいて戻す」という闘いを日々繰り返して抵抗してたんだけど、ある日とうとう、どうやっても戻らない現実を認めなくてはならなくなった。

 その容姿が天然かそうでないのかという騒動は今日もどこかで発生してるんだろうけど、「望むと望まざるとにかかわらず、自然に二重まぶたになっちゃうってことはある」を身をもって体験してると、「同じ理由で今は二重だったり、誰かの整形問題に冷静に意見するけど、全然信じてもらえない人」がどのくらいいるんだろうなという方に興味が湧くよね。

 明日に続くよね。