2018年2月24日土曜日

日常こわい 3

 はい、昨日のつづき。

 病気やケガというのは結果であって、原因は比較的近く、症状と直結したようなシンプルなところにある、って感じで考える方が楽なんだよね。物理的に考える方が。怖くないっていえばいいのかな。

 生活習慣病とか、職業病とかね。「日常生活に気をつけよう」と思いやすい。

 あるいは、「こういう日常なんだから仕方がない」と受け入れやすい。

 心の習慣、考え方や個人個人の人間関係に根ざしたバランス感覚。そういうものが原因だと考えるのはちょっとしんどい。

 職業が原因だと考えれば、むしろちょっとした誇らしさも生まれるけど、職場が原因だと考えなきゃいけないのなら辛い。

 日常を変えるのは大変だから。真面目な人ほど、続ける方が簡単だっていう感覚を持ってる。

 日常と性格は隣り合わせで、ずっと並んで進んでいく。日常が急げば性格も急ぎ、性格が曲がれば日常も曲がる。

 日常を変えるってのは、性格を変えることだったりする。

 「こういう性格だから」、「これはもう性格だから」っていう言い方はありふれたものだと、誰もが感じるはず。

 基本的に変える気がない。変わらないものだと思っている。

 大前提。

 まだつづく。

2018年2月23日金曜日

日常こわい 2

 昨日のつづき。

 日常ってのは大前提で、わざわざ語られないし、取り上げられることも少ない。これがもう、大きな大きな落とし穴になってる。

 日常だと漠然としすぎてるかな。ここでは「今いる環境」と「当たり前にある人間関係」と規定しよう。それを前提に生きていくことを、ほとんどの人が自動的に受け入れている。そこに手をつける、変えていく気がまあ、基本的にない。

 病気やケガからしてみれば、これ以上ないくらいに安全な場所ということになる。

 「は?」と思うでしょ。

 そうなんだよね。この考え方が難しい。

 病気やケガに意志なんてあるわけがない。何を言っとるのかねチミは、と。皆さんもう、ほとんど脊髄反射的に思うでしょう。

 それこそが今回、しつこくしつこく言い続けてる「大前提」ってやつでね。

 誰も調べない大きな陰。いつも日が当たらないから、みんなそこはそういうもんだと固定しちゃってる。日陰になってる暗い場所にわざわざ入り込んで、湿った土の上にある、珍しくも何ともないような石をひっくり返してみようとは思わない。何かがいるかもしれないけど、ふわふわのかわいい子猫じゃないだろうってのは分かるしね。

 「何となく気持ち悪いから、ここに日が当たるようにしよう!」とみんなに呼びかけるのは大変。「何となくじゃ役所は動けません」とか「最初から日当たりのいい場所を探す方が効率がいい」とか言われるし。分かりきってることだから、考えることを検討するのすらめんどくさい。

 日当たりの悪い場所なら、それはそれでいいじゃない。入らなきゃいいじゃない。見なきゃいいじゃない。車に乗ってキャンプに行く方が確実に楽しいし、気分転換にもなるよ!

 心の中にはそういう陰がたくさんあって、病気やケガの住処になる。

 つづく。

2018年2月22日木曜日

日常こわい

 「家族のために」と「家(またはその名誉)のために」というのはもう、全っ然違うことなんだけど、境界線が曖昧になりがちで、思っている以上に混同されやすい。

 日本ではそれが「所属する集団に奉仕せよ」という思想に発展して、オリンピックなんかで「メダル獲れなくてすみません」とか「残念な結果に終わりましたが」みたいな話になる。

 これは歴史的文化的背景もあることで、悪いことばかりではなかったりするから難しい。難しいんだけど、「全力を出すことが最大の貢献になる」という考え方の人が「個人プレーに走る」と非難されやすい社会を、我こそは先進国民でございという自覚の人々でがっちりと支えているようなね。そういう構造はヤバいだろと思う。

 自己犠牲が賞賛されることはあっても、自己犠牲を強いることがあってはならない。

 当事者同士ならまだしも、第三者がうるせえんだよな。インターネットの時代になってからかなと思いかけて、いや、大して変わってないだろうと考え直す。世論風説に押しつぶされたり、殺された人の数は。

 日本はまだまだそういう文化で、このブログを読んでいる人のほとんどはそういう中に生きている。

 で、そういう「当たり前の日常」がね、病気とかケガとかに結びついてることが多いのよ。「そんなバカな」と思えた人はまあ、毎日健康で幸せでね、良かったんじゃないすか。

 つづくんじゃないすか。

2018年2月21日水曜日

モスバーガー的ねじれ・後編

 昨日のつづき。

 アスリートやアーティストみたいな、マスコミを通じて広く知られるような人たちにもこういうことがしょっちゅう起きていて、「それを受け入れちゃう方が楽」とか、「それもまた自分なんだろうな」みたいな言い方もよく聞くんだけどね。

 よく見える浅い部分で起きていると思っていたもつれやねじれが、いつの間にか見えないところ、深い深い、手の届かないところまで沈み込んでしまう。

 それが謎の不調に繋がったりするんだけど、そもそもの原因が本人にも見えなくなっちゃってるもんだから、「どこの病院もお手上げで」みたいな悲劇が出来上がってくのよね。抜け出す方法は(ここに!)あるんだけど、本人がもはや悲劇の方を欲しがっちゃってたりして。

 冬季オリンピックの真っ最中でしょ。「アスリートを国に奉仕させるのが当たり前」みたいなこの国の雰囲気、いつまで続くんだろうね。

 インターネットが普及して、国中がオリンピック一色みたいな時代じゃなくなっていくような気もするけど、炎上とかのね、新しい変な一体感もあるじゃない。

 意志の強い、何かを貫き続けられるような人がね、多くの声ならまだしも、大きいだけの声に潰されるわけにはいかないのよ。だから「続けられなくなってしまう」という、悲劇的な理由を欲しがる。身体がそれに敏感に応えちゃう。

 こういうねじれは何も、アスリートやアーティストに限ったことじゃなくてね。慢性の肩こりとか腰痛とか鼻炎とか、「治らない」「仕方ない」と思ってる症状の原因になってることが多いよ。

 ただねー。信じないんだよな、そういう人たちって(笑)。付き合いが長いってだけで、「自分の症状は自分が一番分かってる」みたいな顔で威張ってんの。

 「治りたくない」ってとこを認めさせるところから始めなきゃいけないからたーいへん。やるけどね、僕! それが仕事だからね!

2018年2月20日火曜日

モスバーガー的ねじれ・前編

 「モスバーガーの苦戦」が論じられるたびに気になるのが、ファストフード扱いされていること。

 モスバーガーは自らを「ハンバーガーレストラン」と規定している。それはつまり「ハンバーガー=ファストフードではない」という宣言で、注文してから待つスタイルを当たり前のものにした、偉大な功労者だと思う。

 「ファストフードチェーン」で待ち札持たされてもすんなり受け入れてるもんね、今。

 そんな背景もあってか、いや、たぶん関係ないんだろうな。ハンバーガー的なものを提供するチェーン店は何かもう、全部ファストフードとして論じられてる感じがある。

 自分たちは違うと思ってるのに、他人はというか、客までもが「ファストフードならどこが好き?」って聞かれて「やっぱモスっしょ」みたいな感覚でいて、マクドナルドと並べて考えちゃってる。

 便宜上だろうが何だろうが、そのように扱われ続け、比較され続けると、対外的にはそのように振る舞った方が楽なのかなと考えるようになっちゃう。

 ハンバーガーレストランとしてのあるべき姿に立ち帰る勇気さえ持てればね、道は切り開けるんだと思うけど。ファストフード扱いしてくる人たちまで「お客様」にして大事にしすぎちゃうから、ねじれにねじれて、難しくなっちゃってるんだろうなと思う。

 この話は明日につづくんだろうなと思う。

2017年12月21日木曜日

体重と身体の重さ

 プロでもプロでなくても、「ベストな体重」を把握している人は多い。

 パワーをつけるために増量する。キレを取り戻すために減量する。前者だと「身体を大きくする」と言ったりするのに、後者を「小さくする」と言わないのはなぜだろう。まあいいか。

 体組成計も普及して、体重だけの話っていうのも少なくなっているとは思う。それでも、そこに表示される数値だけを目標にしてしまうと間違えるというか、失敗する。

 「身体が重いとき」でも書いたけど、ご飯とパン、各種麺類をひとくくりに「炭水化物」だとか糖質として扱うような食事はいけない。栄養士がついてるとか、奥さんが資格を持ってるとかいうのも、役に立たなかったり、実は物凄く足を引っ張ってしまったりする。

 食が「数値を実現するための材料」になってしまうと、その身体づくりは失敗する。

 同様の理由で、サプリメントをじゃらじゃら飲むようなコンディショニングもうまくいかない。摂り始めると癖になるというか、摂らないと不安になってしまうけど、だからこそ僕としては薦められない。

 毎日水を何リットル飲むとかも違う。

 数値目標ってのは分かりやすいし、共有しやすい。提示する側と実行する側との確認が容易だから、「やってますね」「やってるぞ」っていう安心感もある。

 食事制限とか体重制限とか、「制限」ってのはストイックな感じ、プロっぽい感じが出るから、本人も満足感を得やすい。日本人は特に、苦行が好きだしね。苦行やっとけば周りの人の目にも留まる。

 まあ、いかにプロといえども、見えないものを相手に戦い続けることは難しい。ただ、本人を動かすのはその心と身体であって、「気」とか感覚を磨くこと、その部分を共有できるスタッフを探すことが最優先なんだよね。

 それができている人が、結果的に「ほんの一握り」になるんだけど。

2017年12月19日火曜日

身体が重いとき

 何かだるいなーとか、身体が重いんだよなーということはきっと、誰にでもある。

 僕の場合、小麦粉を摂りすぎると重くなる。ご飯が続いても重くはならないけど、パンとか麺が続いてしまうと重ーくなる。

 小麦だけ、小麦粉だけを食べるってことは少なくて、ほぼもれなく油脂分がついてくるのも一因ではある。とは思う。でも、それが全てではないことも感じられる。

 糖質糖質と騒がれているけど、特定の栄養素だけで語れることは少ないし、「科学で証明された」からといって、目には見えない栄養素を見えたつもりになってしまうのは危ない。

 共有される文字情報が増えすぎて、感じる力っていうのが急速に失われている。

 だから、絵とか動画がコンテンツとして、特に若年層に人気なのは自然なことというか、少なくとも悪いことばかりじゃないよなと思う。

 アスリートとかアーティストの体調管理は、パフォーマンスと収入に(あまりにも)直結するから、「業界御用達」な医者やトレーニング、食材の情報の共有が、ちょっと閉じたような、特殊な形でなされる。

 誰にでもある程度効果のある方法が確立されていく一方で、個人に最適な方法が見落とされたり、不当に過小評価されたり。

 結局のところ、口コミはもう、口コミになった時点で最先端ではないし、独占できるお得な情報でもない。

 長く一流であり続けるアスリートやアーティストは、心や性格に合った柔らかい情報を見つけたり、選んだりできる。それもまた才能だと言ってしまえばそれまでだけど、雑音の絶対量自体が増えてるんでね。邪魔する奴が多すぎるんだよなと思わされる。「見つけてくれよ!」と願う。